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もう一つの歴史

安部由蔵と木原明‐たたら復活にかけた熱いドラマ

たたら製鉄それは、日本が世界に誇る製鉄法。しかし、機械化が進み、たたら製鉄は忘れ去られたものとなった。困ったのが日本美術刀剣協会、たたら製鉄でないと真の日本刀は作れない。その時たたらを知る最後の1人が・・・。

安部由蔵と木原明‐たたら復活にかけた熱いドラマ

 

たたら製鉄を知る最後の人物とその弟子になった人物

 

 

背景

弥生時代から続く、日本伝統の製鉄方法として有名な、たたら製鉄。

 

一子相伝の秘儀として、日本社会で語り継がれた世界に誇る技術である。

 

しかし、このたたら製鉄は消滅の危機を迎えていた。

 

第二次世界大戦後、製鉄業も機械化が進み、手間のかかるたたら製鉄は忘れられた技術となっていった。

 

たたら製鉄を行う製鉄所は無くなり、完全にたたら製鉄は過去のものとなった。

 

しかし、たたら復活を熱く希望する団体があった。

 

それは日本美術刀剣協会である。

 

日本刀の粘りや強さは、たたら製鉄でないと表現できない。

 

たたら製鉄以外の製鉄法で作られた鉄では日本刀を作ることができない。

 

そして、日立金属にたたら復活が託された。

 

政府からの資金援助も取り付けて、たたら復活に向けてのプロジェクトが始まった。

 

 

たたら復活へ向けて

たたら復活に向けてのプロジェクトが進んだが、肝心な、たたら製鉄の製鉄方法を知る人がいなかった。

 

たたら製鉄は一子相伝の秘儀、一般的にその手法は門外不出であった。

 

たたら製鉄を知っているものは、門外不出の秘儀を受け継いだ村下と言われる人だけであった。

 

たたらを復活させるには、村下を探すしか方法は残されていなかった。

 

 

安部由蔵

出雲地方に、たたら製鉄を知る最後の生き残りが1人いた。

 

名前は安倍由蔵、この時、年齢は70歳を超えていた。

 

高齢の為、すでに、たたら製鉄からは引退していた。

 

たたら復活には安部由蔵の協力が必要であった。

 

日立金属社員、木原明は安倍由蔵に協力を要請した。

 

だが、安倍は頑なにその要請を拒んだ。

 

 

たたら復活に向けての要請を拒んだ理由

たたら製鉄は門外不出の秘儀、そう易々と他人に教えられるものでは無かった。

 

安倍には本当は、たたら製鉄の秘儀を伝えたい相手がいた。

 

それは、自分よりも早く死んだしまった息子であった。

 

また、たたら製鉄は、簡単に鉄が作れる製鉄法では無い。

 

たたら製鉄を復活させるとなると、体力が必要で、高齢の体には大きな負担にもなる。

 

もし引き受けるとなると、安倍由蔵にも大きな覚悟が必要であった。

 

 

木原明の思いと粘り

木原明は、たたら復活に熱い思いを募らせていた。

 

たたら復活には安倍由蔵の力が必要不可欠。

 

木原は何度も安倍の元に通い詰めて、たたら復活への思いを語った。

 

しかし、何度頼まれようと、安倍の気持ちは変わらなかった。

 

安倍に断られ続ける日々が続いた。

 

そこで、木原はある奇策にでる。

 

安倍の心を動かせる為に、木原は自分なりの誠意を安倍に見せることにした。

 

冬の雪山を上半身裸で、走り、安倍の元をめざした。

 

冬の雪山を1人走る木原の姿を見た時、安倍の心は大きく揺さぶられた。

 

ここまで、誠意を見せられて、これ以上断る事はできない。

 

安倍自身も腹をくくった。

 

たたら復活へのプロジェクトに参加する事を安倍由蔵は決めた。

 

 

たたら復活への挑戦と安倍由蔵

安倍由蔵は何年も使っていない仕事着に着替えて、たたら復活の陣頭指揮を取った。

 

まずは炉作り、完成した炉に、砂鉄を入れる。

 

しかし、問題が発生した。

 

以前取っていた砂鉄の採掘場が国有地となっており、砂鉄を手に入れる事が出来なくなっていた。

 

安倍が以前使用していた砂鉄は赤みがかかる特殊な砂鉄であった。

 

別の地域から砂鉄を取り寄せた砂鉄に水をかけて赤みを出して代用品を作った。

 

炉と砂鉄が手に入り、これで、準備は整った。

 

そして、一回目の操業が開始された。

 

三日三晩砂鉄を入れ続けて、炎でじっくりと燃やす。

 

しかし、三日三晩燃え続けるはずの炎が、途中で消えてしまった。

 

炉を開けてみると、表面が黒く焦げて、中まで火が通っておらず、明からに失敗であった。

 

木原は炎が消えた原因を一生懸命探った。

 

原因は急ごしらえの砂鉄に問題があった。

 

表面だけが焦げて、中まで火が通っていない鉄。

 

炉に送り込む空気の量を調節して、少しづつ空気を送り込んで、じっくりと焼きあげる事にした。

 

そして、二回目の操業が開始した。

 

三日三晩砂鉄を入れ続ける、鉄作りは過酷な重労働であった。

 

高齢の安倍は体力の限界を迎えていた。

 

砂鉄を炉に入れる作業の途中、安倍の意識はもうろうとして、倒れ込んでしまった。

 

木原達日立金属の社員が安倍の代わりに砂鉄を入れようとした。

 

しかし、安倍は言った。

 

「鉄作りは子育てと同じ、途中で投げ出すわけにはいかない。」

 

意識を取り戻し、現場に戻った。

 

安倍は人任せにはせず、鉄作りに全霊をかけて取り組んだ。

 

そして、炎は三日三晩燃え続けて、鉄作りは成功した。

 

たたら製鉄で作られた鉄は日本刀や重要文化財で使う釘として使われる様になった。

 

たたら製鉄の復活であった。

 

 

新たな後継者

その後、木原は安倍に弟子入りをした。

 

いつしか、木原と安倍は本当の親子の様に似てきた。

 

そして、9年後、修業の末、木原は安倍の技術を引き継ぎ、村下になった。

 

これがたたら製鉄復活にかけた男達の熱いドラマである。

 

 

教科書にのせたいこと

・鉄の純度や粘り気など、世界に誇る製鉄法が日本にあること

・一度は失われた技術が、熱い人たちの執念で復活したこと

感動の秘話   2018/07/25   history

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