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司馬遷はなぜ男性のシンボルを切り落とす決断をしたのか?史記誕生秘話

激痛が襲い、これまで共に過ごした友と別れた司馬遷、男性のシンボルを切り落としてまで、達成したかった思いとは何か。屈辱に耐えた先の偉業とは。

司馬遷はなぜ男性のシンボルを切り落とす決断をしたのか?史記誕生秘話

 

司馬遷の史記をご存知でしょうか?

 

司馬遷の史記とは、漢の時代に書かれた歴史です。

 

その後の中国王朝や日本を含めた周辺諸国に多大な影響を与えました。

 

 

司馬遷の夢

司馬遷は漢帝国の文官として、活躍していた。

 

彼には夢があった。その夢とは歴史書を完成させること。

 

 

苦難とトラブル

歴代中国王朝は北方の遊牧民族と戦いを続けていた。

 

漢の時代も例外ではなく、北方遊牧民族との戦いは国家の存亡をかけた大事な戦いであった。

 

そんな中、漢の将軍李陵は北方遊牧民族を討伐すべく軍を率いて戦ったが、最後は北方遊牧民に捕虜となってしまった。

 

しかし、捕虜となった李陵を漢の武帝は、北方遊牧民に寝返ったと勘違いしてしまった。

 

司馬遷は李陵が北方遊牧民に寝返ったのではないと武帝に進言したが受け入れてもらえず、それどころか、武帝の逆鱗に触れてしまい、死罪となってしまう。

 

 

李陵をかばった事によって死罪となった司馬遷の決意

死罪となった司馬遷

 

しかし、彼にはどうしても死ぬことが出来ない理由があった。

 

それは

 

歴史書がまだ完成されていない。

 

歴史書を完成させるまでは死ぬわけにはいかない。

 

死罪を免れる方法は、ただ1つ、それは、激痛と屈辱に耐えて、男を捨てる事。

 

当時の中国のルールでは、死罪を免れる方法は、宮刑を受ける必要があった。

 

男のシンボルを切り落とし、司馬遷は屈辱に耐えて生きる道を選んだ。

 

司馬遷にとって、歴史書を完成させる事が全てであった。

 

こうして、苦難の中、史記が完成をした。

 

司馬遷の信念が大作

 

「史記」

 

をこの世に送り出した。

 

司馬遷の信念に感動を覚えた。

 

感動の秘話   2018/08/13   history

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